「ココロ」とは、いったい何なのか。

 私たちが自分の胸を指して言うそれはいったい何処にあるのか、私たちがわざわざ鍵括弧で強調しカタカナで表記するそれはいったい何を示すのか、真に導き出せた者は私含め誰一人としていない。
 だから、そう尋ねられたとき、私はあるものを見せることにしている。
 黄ばみや傷に覆われた古びた黄土色のフレーム、その中に収まった一つの静止画。複数の人物が不揃いに並んで、笑顔を向けたりピースサインを作ったりと各々が自由な振舞いを見せている。人物たちの和やかな雰囲気とは裏腹に背景は薄汚れた灰色で、目を凝らせば罅や埃すら見える。画像の中身そのものはごくありふれたものだが、その在り方は今では珍しい、初めて見るという人がほとんどくらいのものだろう。
 写真。それはかつてその名称で呼ばれていた。より正確に言えば、かつてこの世には写真と呼ばれたものが存在していた。いわゆるデッドメディアの類の一つだ。要は静止画を紙に現像する技術で、今でも技術として完全に死んだというわけでもない。だが映像技術や通信技術が高度に発達したこの時代に、撮った画像をわざわざ紙で残そうなどと思う人間はいないだろう。私もまたそういう時代に生まれた人間の一人だが、どういうわけか今こうしてその写真とやらを手元に残している。そして、「ココロ」とは何かと尋ねられたとき、私はその写真を相手に見せることにしている。
 その瞬間、相手はたいてい不思議そうな表情を浮かべる。目を丸くするだとか首を傾げるだとか、どういう意味だと言わんばかりの仕草をする。無理もないだろう、提示されたのは並べられた御託ではなく、古びたフレームに収められた一枚の集合写真。誰かのアルバムを辿ってみれば一枚は見つかりそうな、そんな何の変哲もない画像だ。その人にとっては特別なものなのかもしれないが、それでも一個人の思い出の破片でしかない。
 現に目の前にいる二人も、まさにそのような反応を示していた。一人は写真を手に持ちじっと見つめて、何度も角度を変えては照明にかざして訝しく観察している。もう一人も首を横に向けて、ひらひらと動く写真をじっと眺めている。
「チハヤ。これは何でしょうか」
 先に口を開いたのは、写真を照明にかざしていた短髪の子――ミズキだった。彼女の反応は至極当然で、それは彼女のような存在には間違いなく馴染みのないものだった。
「ミズキ、それはね……」
「待ってください。今調べます」
 続いて口を開いたのは、横で写真を眺めていた長髪の子――ツムギだ。左手をこちらに伸ばして、右手の人差し指を眉間に当てて目を閉じている。
「……わかりました、ミズキ。それは写真というものです。撮影した静止画を紙に現像したもので、今はほとんど利用されていない技術のようです。しかしチハヤ、どういうことなのでしょう」
 得意げに解説を諳んじたかと思いきや、ツムギは凛々しい目つきをそのままに私のことをじっと窺ってきた。
「チハヤ、これは写真です。どう見ても、チハヤの言う『ココロ』には見えませんが」
 「ココロ」とは、どういうものなのでしょうか。
 二人が夕食の後片付けをしている最中だった。洗い終えたばかりの平皿を抱えたまま、ミズキが呟くように尋ねてきた。私たちとあなたたちは共に生きていける、ココロを一つにできる。ちょうど昨日そのような話をしたばかりだった。その時は二人ともどこか温かそうな表情を浮かべていたが、一晩経ってやはり気になってしまったのだろう。
 彼女たちに「ココロ」はない。それが彼女たちを含む、この世界の抱える常識だから。
「ええ。ちゃんと『ココロ』よ」
「『ココロ』というと感情だとか気持ちだとか、精神的、心情的なものを思い浮かべるのが一般的だそうです。しかしチハヤの提示したものは写真、物理的なものです」
 写真を指差しながら、ツムギはまるでディベートでもしているかのように流暢に話し続ける。その一方で、ミズキは写真の中身をじっと見つめ、反対にゆっくりと、ぼそりと声を出した。
「この人物、チハヤに似ています」
「チハヤに、似ている……」
 ミズキが写真の左隅あたりを指し示すと、ツムギも開いた口を噤ませ、目を見開いて吸い込まれるようにその先を覗き込んだ。
「……確かに、今よりも年若のように見えますが、この人物はチハヤに酷似しています」
「もしかして、この写真はチハヤの昔のものなのでしょうか。だとすると、これはチハヤが『反機械化戦線』のリーダーだった頃の写真……だとすると、チハヤの周りにいる人物たちは」
 ミズキは写真から顔を上げて、全く同じ行動をしたツムギと顔を見合わせた。互いの表情を、互いの瞳を見合わせて――おそらくその奥の、自分たちに与えられた「名前」を見つめている。
「ええ。その通りよ」
 二人には少しだけ不親切だったかもしれない。その何の変哲もない一枚の写真を、いきなり「ココロ」と称するにはさすがに飛躍がある。「ココロ」と呼ぶためには、この写真が「ココロ」に至った変遷を知る必要がある。
「ミズキ、ツムギ。片付けが終わったら、少し時間をもらえるかしら」
「チハヤ。もう遅い時間です、あまり無理をしては身体に障ります」
「いいの。今はそういう気分だから」
 ゆっくり一回だけかぶりを振ると、二人はまたしても顔を見合わせて、まるでテレパシーで相談しているかのように固まってしまった。そして結論が纏まったのか、二人揃って私のほうに視線を向けてくる。
「わかりました。ですが、私たちは何をすればいいのでしょうか」
「何もしなくていいわ」
 三度二人の顔が向かい合う。見る人が見れば壊れた玩具のよう、と喩えるのかもしれない。けれどその様子はむしろ無垢な子供のようで、見ているだけで気持ちがくすぐられるような気分になる。
 そんな二人だからこそ、知ってほしい。この写真のことを。
「昔話に付き合ってほしいの」
 この写真の中に収まった、「覚悟」の物語を。