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キサラギチハヤは都市とマザーに対して牙を向け、反旗を翻すべく同じ志を抱く仲間を求めた。
しかし彼女は、決して自ら誘うことをしなかった。仲間を求めてはいても、実際に仲間として迎え入れたのは自ら志願した者のみ。自分の行く末が過酷で悲惨なものであること、仮に真の平和を導けたとしても自らは穏やかな最期を迎えられないであろうことを、チハヤは覚悟していた。自分と同じような志を持った者があちこちで組織を立ち上げ、そしてマザーたちによって無残に潰される、そんな風の便りを毎日耳にしていた。
故に、同じくその覚悟を携えた者のみを、チハヤは仲間にすると決めていた。
そういう観点で言えば、ミズキは自ら志願したと言えなくもない。しかし優しい彼女には、あきらかにその覚悟はなかった。彼女の進言はあくまで道に迷った人を案内するそれの延長線。チハヤに協力した自分、そしてチハヤ自身の先で待ち構えているものを、彼女は想像すらしていなかっただろう。
だからチハヤは、いつまでも彼女の傍にいるわけにはいかなかった。彼女の優しさを受け入れるわけにはいかなかった。荒れ果てたディレイでも無機質に潔白な都市でも、あるいは自らの目指す理想の世界でもどこでもいい。とにかく彼女は、平和な場所で穏やかに生きるべき人間だ。
開発途上のディレイは深夜を迎えると、命すらも呑んでしまいそうな闇に包み込まれる。廃材が月明かりを反射してくれればまだ真面なほうで、大抵の箇所は懐中電灯でもなければ歩くことすら困難になる。だがそういった闇はチハヤのようなはぐれ者には好都合であり、その故にサイバーポリスも数を減らすことはない。闇夜の中に唐突に眩い光が現れたのなら、そこにサイバーポリスと犯罪者がいるという証左だ。
サイバーポリスの放つ光の輪郭が、遠くにぼんやりと見える。その方角を眺めながら、チハヤは壁沿いをゆっくりと、右腕をさすりながら歩いていた。右腕の皮膚の上には、まだミズキの優しさがほんのりと残っている。彼女の優しさを受け入れてはならないとわかってはいる一方、彼女の優しさがいつまでも離れない、半ば離したくないと無意識に覆っているのもまた事実だった。味気ない都市で生きてきて、見捨てるように都市から離れて、同じはぐれ者と寄り添ってきたチハヤにとって、ミズキの優しさは生まれて初めて出会う類であり、わずかな時間でありながら忘れられないくらい強烈で鮮明な色を放っていた。
世界中の人が彼女のような優しさを持っていたのなら、きっとサイバーポリスもレジスタンスも必要なかっただろう。そんな自虐じみた夢物語を頭の中で呟いた、そのとき――
「やっぱり、ミズキの言うとおりにしたほうが……」
些細な声だったが、聞き間違えるはずがなかった。今まさに想起していた彼女の名前が耳元まで届いてきた。声の主の影は見当たらないが、すぐ近くにいるはずだ。ミズキの知り合いか、あるいはミズキ本人か。
だがチハヤのいる場所は、ミズキの「秘密基地」から十数キロ離れた位置。近くに金属工場があり、サイバーポリスの密集度も高い危険なエリアだ。ミズキのような人物が、こんな場所に近寄るはずがない。だとしたら――
チハヤは壁に耳をあてながら、音を殺して歩みを進める。工業区の空気を掠める不気味な音の中、二人の会話の声は徐々に鮮明になっていく。
「今ならまだ間に合うから、そんなの捨てて早く戻ったほうが……」
「何言ってるの。これはサイバーポリスと戦うための武器よ。これを手に入れるために、わざわざここまで来たんじゃない。」
「で、でも……」
遠くでぼんやりと赤い光が点滅している。光の数と点滅具合からして、おそらく異常事態が発生していることは容易に想像がついた。工業区という場所、そして今耳にした会話から、誰が何をしでかしたのか、推測することはチハヤにとって造作もないことだった。
なぜなら、すぐ近くにいる人物は――少なくとも一方は、同じ穴の貉だから。
「それで、そんなものを抱えて、これからどうするつもり?」
路地を一つ越えた先、錆びついた太い配管の陰。チハヤの目に入ったのは、二人の少女の姿だった。一方は栗色の長髪に凛々しい目つきをしていて、もう一方は長く透き通った銀髪に白く柔い肌。年齢はおそらくミズキと同じぐらいだろう。栗色の髪の少女の手元では不釣り合いな大きい袋が、中から怪しげに光を反射する銀色の粉を覗かせていた。そして、二人とも突然の来客に、目を大きく見開いてその場に固まっていた。
「安心して。サイバーポリスじゃあないから。……それ、アルミニウム粉よね。あなたたちが盗んできたの」
チハヤの言葉に、栗色の髪の少女は袋の口をぎゅっと握り締めて、息を取り戻したかのようにチハヤをぎっと睨みつけた。マザーによる厳重な管制の下、工業区における一切の作業はアンドロイドによって行われ、工場に無暗に立ち入ればその瞬間から罪人と化す。それが少しでも兵器に転用できる可能性があるならば、アルミニウムの粉末すら触れることは許されない。
だが、法律上の想定と実際にもたらされ得る結果は、あくまで別だ。
「だったら、何?」
「盗み出すのにもさぞかし苦労したことでしょう。ただ残念だけれど、テルミット式爆弾じゃあサイバーポリスには傷一つ付けられないわ」
「っ! そんなこと……」
「じゃあ実際にそれで爆弾を拵えて、何ができるか想像つく? 私だったら、使うにしてもせいぜい逃げ出す際の目晦まし程度かしら」
少女は唖然と口を開き、そのまま手元の袋の口に目を落とす。アンドロイド一、二体を爆破する絵でも描いていたのか定かではないが、チハヤの言葉に対しあっけなく打ちひしがれたのか、眼前の粉末に自身が浮かれていたのを悟ったのか、少女は何も言い返さず項垂れてしまった。
「……あなたは、誰なのですか」
もう片方の、ずっとおろおろしていた銀髪の少女が、言葉と同じく震えた視線をチハヤに向ける。項垂れた少女とは異なり、少なくとも彼女からアンドロイドに刃向かおうなどという意思は見られなかった。
「そうね……あなたたちとは同じ側の人間だと思うわ。その子が目指そうとしている者、って言えばわかるかしら」
項垂れていた栗髪の少女がようやく顔を上げる。項垂れてはいたものの、その瞳にはまだ闘志らしきものが生きていた。自分よりも年下の少女が、下手をすると自分よりも強大かもしれないものを携えていること、そして現に行動に移してしまったことに、チハヤが認めたのは脆さと危うさだった。放っておけば彼女はまたサイバーポリスへの攻撃を企むかもしれない、しかし今の彼女の様子を見る限りそれは特攻にもならない可能性が高い。それならば、いっそ彼女を自分の下に置いておいたほうが良いかもしれない。
何のために? 彼女を一人前の戦士に育てるため? 今度はれっきとした「特攻」になるようにするため?
チハヤが右手を額に添え、小さく息を吸った、その瞬間。
「シホ! ツムギ! やっぱりここに……」
チハヤの思案を切り裂いたのは、柔く瑞々しく、あたたかな声だった。
「工業区に近づいちゃダメだって、あれほど……」
チハヤは目を疑った。そこにいるのは、昼間にチハヤを救ってくれた温もりであり、この一帯の不穏とは決して馴染まない優しさであり、チハヤが二度と会ってはならないと断ち切ろうとした希望だった。その希望は眉間に酷く皺を寄せて、息を切らしながら二人の少女へと近寄る。唐突に現れた彼女の姿にチハヤは目を丸く見開き――チハヤの存在に気づいた彼女もまた、目を大きく見開いた。
「チハヤ……? どうして、ここに……」
ミズキこそ、どうして。こんなところに、いるの。
チハヤは返そうとした。返すことが、できなかった。それよりも先に、鋭い視線が突き刺さってきたから。
「チハヤ……もしかして、キサラギ、チハヤ……?」
その場の誰よりも目を大きく見開いていたのは、チハヤとは特に関わりのないはずの栗色の髪の少女だった。少女は呪文のように、確かめるように何度もチハヤの名前を呟き、それを止めたかと思いきや、今度は一目散にチハヤへと駆け出した。咄嗟の出来事にチハヤは何もできず、そのまま少女を腰で受け止める。
「今、チハヤって……あなた、もしかして『反機械化戦線』のキサラギチハヤなの!?」
チハヤの腰に強くしがみついたまま、少女はチハヤの顔を見上げた。絶対に離すまいと縋るように、処女の目は瞬き一つせずチハヤの顔を捉え、指は深く食い込みそうなほどにチハヤの身体を握り締める。
「あなた、レジスタンスなんでしょ! だったら、他にチハヤなんて名前の人間はいないわ」
「だったら、どうするの」
「お願い」
少女の声は淡々と、しかし途端に弱く萎む。顔をチハヤの身体に埋め、そこから彼女の震えが浸透していく。
「私を、『反機械化戦線』に入れて」
声とは逆に、チハヤを掴む力は一層強くなる。その力は突き付けた選択からチハヤが逃げ出すことを許さず、チハヤは視線だけをミズキの方へと逃がした。少なくとも、即座に返答できる術を、チハヤは持ち合わせていなかった。
「この子たちは……」
「私と一緒に暮らしている、仲間……いや、家族です。その子がシホ、こちらがツムギ」
ミズキの手ぶりに合わせて、今までずっと呆然としていた銀髪の少女――ツムギがおどおどと頭を下げる。一方の栗色の髪の少女――シホは相も変わらずチハヤに視線を合わせようともしない。
「……どうして」
ミズキと再会した。ミズキと、再会してしまった。彼女の温もりから離れようとしたのは、彼女が年端もいかない少女であり、その可能性を潰すまいと願ったからだ。そのミズキと同じくらいの少女が、レジスタンスになりたいと志願している。だから、チハヤは確認しなければならなかった。
「どうして、レジスタンスになりたいの。アンドロイドに――マザーに抵抗したいと思うの」