
「アンドロイドに、親を殺された」
シホの答えは静かで、微かで、それでいて圧し殺されるような迫力を携えていた。幾多の死地を越えてきたチハヤですら思わず唾を飲み込み、しかし視線は決して逃さなかった。逃げては、ならなかった。
「私たちは、みんな孤児なんです。私やツムギは、シホとはまた事情が違いますが、頼る相手がいないのは同じ。だから、三人で協力して生活しているんです。秘密基地は、私たちの家」
一歩、一歩と、ミズキがチハヤたちへと歩み寄る。優しさに満ちたはずの表情はどことなく張り詰めていて、熱を持った氷のような視線をシホへとぶつけている。ツムギは三人の様子を眺めることも止め、気まずそうに真下の罅割れたコンクリートを見つめていた。
「シホ。レジスタンスになるのは認めません。今すぐ帰りましょう。チハヤにも迷惑がかかります」
「どうして!? 私がどうしたって、私の勝手でしょ!」
シホは振り返り、ミズキを噛みつくように睨みつける。ミズキは動じることなく、同じ視線をシホに投げかけ続ける。張り詰めてはいるが、やはり優しい視線だった。
「シホは、私たちの家族です。大人でもない私たちがレジスタンスになるなんて、どうなるか分かりません。家族に危険な目に遭ってほしくない。この工業区だって、一歩誤ればサイバーポリスに捕縛されるかもしれない危険な場所です。だから、絶対に近づくなと、約束していたんです」
「子供だって言ったって、私たちは街に見捨てられた孤児じゃない。はぐれ者を助けてくれる人間なんていない。アンドロイドに刃向かって今死ぬか、世界から無視されていずれ死ぬか、どの道同じよ」
シホはそっぽを向くように首を戻して、チハヤに無言の問いかけを投げつけた。ミズキはシホへと歩み寄り、右手を伸ばそうとして、しかしその手は迷子みたく宙をふらふら彷徨い、行くあてもなく下に垂れてしまった。
「シホ、あなたの気持ちは分かりますが……」
「分かるわけないじゃない!」
刃のような声が、周囲を漂う無機質な重低音を引き裂くように拡散する。
「分かるわけないじゃない。殺されたのよ。目の前で、親が」
シホが振り向く。凍ったように虚ろで、泣き叫ぶように儚い瞳が、言葉を見失ったミズキの心臓に、余計な同情を抉り取らんと突き刺さる。
「『親を知らない』あなたには、私の気持ちなんて分かるわけない」
「シホ! いくらなんでも、言い過ぎです」
凍ってしまったミズキの代わりに、後方からツムギがシホを弱々しく睨みつける。シホは意に介するどころか、お前は引っ込んでろと言わんばかりの視線を投げつけ、ツムギは萎れるように縮こまってしまった。その様子に、今度はシホが苦虫を噛むように顔を歪めそっぽを向く。
「……あなたたちに迷惑はかけないから。お願いだから、私の好きにさせて」
そして彼女はチハヤの顔を見上げ、無言の懇願を投げつけた。
言葉はなくとも、シホの決意と悲壮は重々伝わってくる。安い返事で誤魔化すことなどしてはいけない。辺りは再び工場が奏でる重低音に包まれ、後方からはミズキとツムギが固唾を飲んでチハヤの回答を窺っている。
自ら志願した者しか「反機械化戦線」には迎え入れない。それがリーダー・キサラギチハヤのルールであり、それに照らし合わせればシホは合格だった。年端もいかない少女だが、彼女にはチハヤにすら勝るとも劣らない確固たる意志がある。レジスタンスという異端児に適した人材であることは間違いなかった。
しかし。だからこそ。チハヤは、彼女の手を安易に取ることができなかった。「反機械化戦線」にシホと同じくらいの歳の子がいないというわけではない。シホの場合、この歳でアンドロイドに対する殺意と復讐心とも言うべきものを持ち合わせていることが、彼女の「危うさ」に拍車をかけている。自身を含めそういう類の人間には破滅の未来しか待っていないことを、チハヤは知っていた。
ミズキも、シホも、同じだ。彼女たちの年齢であれば、まだ未来を選択できていいはずだ。
何より、彼女には大切な存在がある。仲間、親友――本人が言った通り、「家族」と表現するのがふさわしい二人が、その身を案じてくれる優しさが、帰るべき場所が、彼女にはある。
「私は――っ!」
チハヤが思い口を開いた瞬間。けたたましいサイレンと眩いサーチライトの群れが、辺り一面を塗り潰した。真っ白な光が路地裏を一つずつ縫うように蠢き、何かが重々しく動く音が軍靴音のように地面を揺らす。一変した世界に三人の少女は表情を震わせ、チハヤは腰の小銃に手をかけ、臨戦態勢に入る。
光と音がだんだんと大きくなる。四人を包囲するように。
「もしかして、サイバーポリス……」
「気づかれたかもしれないわね。三人とも、伏せて!」
返事をするより先に、チハヤは即座に駆け出し、ツムギの前のしなびた袋を拾い上げる。そのまま斜め上方向、頭上の遥か遠くへと投げ上げる。すかさず小銃を引き抜き、空中の袋に向けて引き金を引く。
瞬間、巨大な閃光と爆発音が拡がった。それは一色に染まった世界を上から塗りたくる反撃の狼煙だった。周囲の光は爆発の方向に集まり、それより先にチハヤは傍らの排気ダクトの残骸を蹴り上げた。
「それは……排水口?」
ぽっかりと空いた穴に飛び込むと、チハヤは半身を乗り出し、三人の少女に笑ってみせた。
「私についてきて。生憎、この辺りの地理には詳しいから」
「チハヤ……」
「今度は、私が助ける番よ」
猶予はほとんどない。そこにいる誰もが、直感的に理解していた。ミズキがツムギの手を引き、シホがその後に続く。再びサイレンが響き渡る頃にはそこには人影ひとつ残っていなかった。
◇◆◇◆◇◆
それから何時間経ったことだろうか。四人は工業区から遠く離れた、ミズキたちの「秘密基地」の近辺に辿り着いた。深夜を回ったからか元々人の少ない地区だからか、辺りは暗い静寂に包まれていた。この地区は都市による侵食もまだ及んでおらず、夜空の星々だけが明るく輝いている。
「ここまで来れば、さすがに大丈夫かしら」
チハヤは一つ息をつき、後ろの三人へと目をやる。三人とも酷く歪んだ表情で息を荒げており、それは長時間長距離を移動し続けたからだけではない。
「レジスタンスになるというのは、こういうことよ」
三人の視線がチハヤに集中する。チハヤはツムギ、ミズキと順に視線を移し、そして少し青ざめたシホの顔を見つめた。
「今日みたいなことは日常茶飯事。常にサイバーポリスを警戒して、逃げ回って、時には捕まった仲間を見捨てて、それでも戦い続ける。抗い続ける。それが、私たちよ。あなたに、それができる?」
「私は! 私は……」
シホはきっと目をつり上げたが、それだけだった。彼女の意思に反して言葉と身体は正直で、両脚は今にも崩れてしまいそうなくらい震えていた。人並み外れた意志を持ったところで、今死ぬか将来死ぬかなどと言い放ったところで、シホの器はやはり年端もいかない少女だった。意図的なものではないとはいえ、チハヤにとって事態は好都合だった。これで彼女も未来の選択を誤らずに済むだろう――
「私は、なります」
チハヤは目を疑った。その声はシホからではなく、彼女の後ろ、真剣な面持ちでチハヤを捉えるミズキから紡がれたものだった。
「そうだとしても、私はレジスタンスになります」
「ミズキ……どうして、あなたが……」
「直感です」
ミズキがゆっくり口元を細める。それは柔らかく温かく、そして芯の通った笑みだった。
「初めてチハヤを目にしたときの、不思議な直感。この人なら、きっと世界を変えてくれる。そう、思ったんです」
初めて会ったとき、不思議そうなチハヤの視線を意に介することなく浮かべていた笑顔が、今のミズキの微笑みに重なる。
「息苦しいとは思っていても、声に出すことはない。私自身も、その一人でした。マザーに支配されつつあるこの世界は間違っている、いずれ私たちの住む地区も誤った方向に進められてしまう。頭では分かっていても、行動に移す勇気も声を上げる意志も私は持てませんでした。だから、今マザーと戦っているチハヤのことを、戦おうという意志を見せたシホのとこを、羨ましく思うし、尊敬している」
「ミズキ……」
シホの震える瞳を、ミズキは優しく迎え入れる。
「シホに危険な目に遭ってほしくないのは本当。でも、本音は抜け駆けされたくなかっただけだったのかも」
そして彼女は、チハヤの方へ一歩、また一歩と歩み出る。まるで、自分の意志を高らかに宣言するかのように。
「チハヤ。私を、『反機械化戦線』に入れてください」
「……どうして」
あなたはそんなに、優しいの。
あなたはそんなに、眩しいの。
その声は、独り言のように宙に溶けていった。
「チハヤ……?」
「……駄目よ。あなたは、こんな危険な世界に入るべき人間じゃない。明日、一時間後、もしかしたら数分後には死んでいるかもしれない。今日だって危険な目に遭って十分分かったでしょう? あなたに――あなたたちに、こんな未来を歩んでほしくない!」
そこにいたのは、毅然としたレジスタンスのリーダーではなく、駄々をこねる子供のように感情を吐き出す一人の少女だった。その様子を、ありのままの彼女の姿を目の当たりにして、ミズキは困惑するどころかまるであやすように笑っていた。
「はい。危険なことは、重々理解しました。だからこそ、逃げる道中で私は決意したんです。私は、チハヤの力になりたい」
ミズキの手が。優しい柔らかな熱が、チハヤに触れる。
戦地を潜り抜けて荒れ切ったチハヤの肌を、ミズキの滑らかで瑞々しい肌が包み込む。
「私だって、チハヤにそんな未来を歩んでほしくない。そう思っては、いけないでしょうか」
「どうして……」
あなたは、そんなに優しいの。
今日初めて会ったチハヤ相手に、直感一つだけを理由にそこまで言ってしまう。ミズキはチハヤが感じた以上に優しく、そしてどうしようもないくらい強い意志の持ち主だった。チハヤにこれ以上、彼女の意志を拒む権限はなかった。チハヤは白旗の意味を込めて溜め息を一つ吐く。
「……分かったわ、ミズキ。あなたを『反機械化戦線』に迎え入れるわ」
「ちょ、ちょっと待って! 私も入るわ! 『反機械化戦線』に」
チハヤがミズキに手を差し伸べた矢先、割って入るようにシホが飛び上がる。
「少し不意を突かれて焦っただけ。あれぐらいで音を上げたわけじゃない。危険なことくらい、重々承知よ」
瞼を閉じ息を吸って、シホはチハヤに凛々しい視線を向ける。瞳の中には、やはりあの脆く危うい闘志が宿っていた。
「それよりもずっと酷い目に遭ったから」
「……み、ミズキと、シホが入るなら……私も」
そして最後に、ツムギの手が弱々しく上に伸びる。発した意思に反して、本当は嫌だと言わんばかりに手は小刻みに震えている。
「ツムギ、あなたは無理しなくてもいいのよ」
「いえ。一人で待っている方が、嫌なので」
ツムギの怯えながらも確かに前を捉える視線を受け、ミズキとシホは小さく頷き合う。そして三人の視線は、示し合わせたようにチハヤの下に集結する。
「改めまして、私はマカベミズキです」
「シライシ、ツムギです」
「キタザワシホよ。これからよろしく」
チハヤは一つ頷くと、真剣な面持ちで三人を見渡し、右腕を真っ直ぐに差し伸ばした。
「私はキサラギチハヤ。レジスタンス組織『反機械化戦線』のリーダーよ。ミズキ、ツムギ、シホ。『反機械化戦線』へようこそ。ここから先には想像以上の地獄が待っているけれど、覚悟してね」
「はい。そのつもりです」
チハヤが広げた手に、ミズキ、ツムギ、シホの手が順番に重なる。それは仲間になるための誓いであり、元の日常には戻らないという覚悟であり、悲壮な物語の始まりだった。