レジスタンスにとって、居住地の選択は大きな死活問題の一つだった。反乱因子である以上、管理者――マザーの息のかかる場所に留まってはいけない。かといって、マザーからあまりに離れた場所だと、マザーの動向を探るのにも多大な労力とラグが発生し、マザーに刃向かうための行動を起こすことも難しくなるという本末転倒に陥ってしまう。レジスタンスのような異端の者には、都市やマザーからそれほど離れておらず、かつマザーの監視の行き届かない目立たない場所という、灯台の下のような贅沢が必要だった。そしてそのような場所はサイバーポリスの侵蝕が進むトーキョースプロールにはほとんど残されておらず、あったとしても「住み心地」などという概念とは縁遠いような場所ばかりだった。
「……ここが、チハヤたちのアジト」
 ミズキ、ツムギ、シホ。レジスタンスを志したばかりの三人が初めに目の当たりにしたのは、あまりにみすぼらしい現実だった。
 ミズキたちの「秘密基地」から東北東へ十何キロか進んだ辺り。かつてアンドロイド用の半導体を生産する工場が立ち並んでいて、他の過激派レジスタンス組織の襲撃を受け戦場と化し無残に崩壊した区域。その一角にある工場の残骸――といっても比較的原型を留めている方――が、チハヤが居住地として選択した場所だった。床や壁面のコンクリートは罅割れ煤けており、歩くだけでも何かがピキピキと割れる音がこだまする。ところどころ黒く爛れた箇所もあり、灰と油の臭いが未だに辺りを漂っている。テーブルやらライトやら、チハヤが拵えたであろう最低限の家具以外何もなく、窓があったと思しき箇所はテープや板が幾重にも貼られ堅く閉ざされていた。
「アジトというより、もはや倉庫ね」
 シホが人差し指で壁をなぞると、あっという間に真っ黒になってしまった。お世辞にも人の住む空間とは言えない光景に、ミズキとツムギは言葉も選べず呆然と眺めていた。
「もっと立派なものを想像してた?」
 チハヤが自嘲気味に肩を竦めると、ミズキは我を取り戻して慌ててかぶりを振った。
「いえ、そんなことは。住める場所を選り好みできる立場ではないですよね」
「まあね。ちょうどいいところが、ここしかなかったの」
 チハヤは跪き、黒く爛れた床を大事そうにさすった。指先にこびりついた黒をあたかも愛おしそうに見つめ、目を丸くするミズキたちにそっと笑いかけた。
「ここで多くの人間が死んだ。アンドロイドもたくさん壊れた。だから、ここに近づこうとする者はいない」
「でも、廃墟とはいえ半導体の生産工場なんでしょ? サイバーポリスの巡視は……」
「最初はあったみたい。でも、ある事件があって、サイバーポリスすら近寄らなくなった」
 ある事件、とシホが疑問符を付けて呟いたのを聞くなり、チハヤはどこか不気味さすらある笑みを浮かべて満足げに頷いた。
「あるサイバーポリスの部隊が、集団ヒステリックを起こしたの。味方同士で殺し合いを始めたのよ」
「ヒステリック? アンドロイドが? ……それ、冗談よね」
 チハヤは何も答えることなく、無造作に置かれた古いテーブルの方へ近寄ると、その横の同じく古びた椅子にゆっくり腰掛けた。彼女の手招きを受け、ミズキたちは顔を見合わせ、そっとチハヤの後を追いかける。
「とにもかくにもそういうことがあって、マザーすら禁忌みたく触れようとしなくなった。昔でいう幽霊船みたいなものね。だから拠点を置くにはちょうどいい場所なのよ。もっとも、レジスタンスでも好き好んでここに住む人はそういないかもしれないけれど」
 ミズキたちは周囲を見渡す。広々とした空間に対し物も人の気配もほとんどなく、ひんやりとした無が一面を覆いつくしていた。放っておけば一気に溢れて崩れそうなほどに。
「他に人がいるようには見えないけれど。『反機械化戦線』って、もっと大所帯じゃないの」
「あちこちに分散してるの。一か所に固まっていたら、一網打尽にされてそれでお終い。連絡は取り合うけれど、普段はこうして各人バラバラで活動している。少しでも壊滅のリスクを抑えるためにね」
「それでリーダーのチハヤは、とりわけ『安全な』場所にいる、と」
 チハヤが頷く。
「じゃあ、ここにはチハヤしかいないのですか」
「いいえ、もう一人……」
「呼んだ?」
 チハヤが手で示そうとするより先に、奥のタンスの裏側から、朗らかな声と一緒にぴょんと人影が飛び出してきた。綺麗な緑色の長髪が揺れ、それを留めたカチューシャが朝日のように煌めく。チハヤと同じくらいの年齢と思しき少女が、その場にあまりに不釣り合いの輝くような笑みを浮かべていた。
「わたしはシマバラエレナ! 三人とも見ない顔だけど……もしかして『反機械化戦線』の新人さんかな? よろしくね!」
 エレナと名乗った少女は跳ねるようにミズキたちに近寄ると、満面の笑みを一層綻ばせてミズキの手をぎゅっと握り締めた。ミズキをわくわくしながら見つめるその顔の肌はレジスタンスの割にはつややかで、鼻頭にこびりついた煤が不自然なくらいに目立つほど。眩しいくらいの笑顔と有刺鉄線すら平然と飛び越えてくるような明け透けのない態度に、ミズキはかえってたじろぎ、チハヤに視線で助けを求めてしまう。チハヤは小さく笑みをこぼし、
「彼女にはエンジニアを担ってもらっているの。こう見えても、サイバーポリスから盗んだ武器も改修できるくらいの凄腕なの。人見知りとは対極みたいな子だけれど、悪い子じゃないから」
「むう、酷い言われようだね……。ねえ、あなたの名前は?」
 エレナに包み込まれた手を見つめて、彼女から伝わってくる熱を感じて、ミズキも優しく笑みを返す。
「私は、マカベミズキです。今日からお世話になります」
 ミズキの名前を聞いて満足げに頷くと、エレナはぴょんと隣へ移り、同じように手を差し伸べる。
「あなたは?」
「私は……キタザワシホ」
 差し伸べられた手に対し、シホは右手を宙に浮かせたまま迷わせるが、意を決するより先に両手にぎゅっと捕まえられてしまった。
「よろしくね、シホ!」
「よ、よろしく」
「次はあなた! 声が三人分しか聞こえてこなかったからチハヤ以外は二人しかいないと思ってたけど……あなたの名前は?」
「え、えっと……」
 エレナが迫るや否や、最後の一人、ツムギは思わず後ずさりし、口を震わせ助けを求めるように周囲をきょろきょろと見渡した。ミズキが背中を押すように頷いても、ツムギは細かく首を横に振って頑なにエレナから距離を取る。
「すみません。彼女――ツムギは人見知りが激しくて……」
「そっか。ツムギって言うんだね」
 エレナは足を踏み込むと、ツムギに向かって軽やかに一跳躍した。ツムギが逃げる暇すらなく、エレナに両腕いっぱいに優しく抱きしめられる。急に迫り寄ってきた熱に、ひゃっ、と震えた声が廃屋内にこだまするように響き渡った。
「綺麗な声だね」
 目を見開くツムギに、彼女はニッと歯を輝かせた。ゆっくり腕を解いて、今度は両手を握り締めてツムギの前に差し出した。
「よろしくね、ツムギ! 一緒に世界を変えよう!」
「は、はい……」
 ツムギはしばらくエレナの両拳をまじまじと見つめていたが、覚悟したかのようにゆっくり頷くと、自分の両手を握ってエレナのものに近づけた。エレナの手が動き、二人の拳がこつんとぶつかる。そしてエレナの笑顔が再度咲く。それにつられるように、ツムギも少しずつ口角を緩めていく。
「なんだか、不思議な気分です。レジスタンスだから、もっと殺伐とした人が多いのかとばかり」
「そうね。一級の犯罪者ですもの、そういうイメージを持たれても仕方ないかもしれないわね。でも、意外とエレナみたいなフレンドリーな人間も多いのよ?」
 ミズキのきらきらとした視線に、チハヤは困ったような笑みを浮かべた。
「むしろ……だからこそ、アンドロイドによる支配に抗おうと思ったのかもしれないわね」
 チハヤは椅子から腰を上げると、エレナの方へと歩みを進める。
「ところで。裏で作業中だったみたいだけれど、何をしていたの?」
「そうそう! 例のモノを調整してたの」
「例の、モノ?」
「もう動けるはずだけど……恥ずかしがってるのかな?」
 エレナが元いた本棚の方へと戻り、裏側を覗き込む。おいで、と手招きすると同時に、歯車が軋むような歪な音が響き渡った。
「もう一人、『反機械化戦線』のメンバーを紹介するね」