歪な音は酔歩を踏むように抑揚をつけて鳴り、生まれたばかりのようなぎこちなさで徐々に近づいてくる。異様さすら孕んだその音にミズキたちは固唾を飲み込み、一瞬にして空気が張り詰めたように凍っていく。
 そして、本棚の陰から現れ出たものは、少女の形をしていた。細く長いツインテールが目立つ華奢な少女――しかしふらふらと定まらない姿勢、身体の節々から発する軋む音、そして関節から顔を覗かせる金属光沢は、それが明らかに少女ではないことを示していた。
「これは、まさか……アンドロイド……?」
「ええ、そのまさかよ」
 それは少女の形をしていながら、少女とは似て非なる動きをしていた。チハヤの言葉に合わせるように、挨拶するようにそれは頭を深く下げ、悲鳴のような鈍い音を上げながら上体を戻そうとする。だが少女とは異なり身体はうまく戻ってくれず、ふらつき倒れそうになったところをエレナがすかさず両腕で支える。少女を模した身体をしていながら、全身の至るところに金属と錆が垣間見えるその様はサイバーポリスの精巧さとはかけ離れており、アンドロイドともにわかに断言し難いほどの有様だった。
 あまりの異様さと異質さに、ミズキとツムギは目を見開き、シホは顔を青く染めた。
「ちょ、ちょっと待って! なんで、どうして『反機械化戦線』のアジトにアンドロイドがいるのよ!? アンドロイドに反抗するための組織じゃないの!?」
「少し前に拾ったのよ。どういうわけか知らないけれど、不法投棄されていたから」
 興奮するシホをあしらうかのように、チハヤは淡々とその機械へと近づく。
「見つけたときにはほぼ壊れかけてたから、持ち主からしたらもう価値のないものなのかもしれないけれど。でも、アンドロイドがああいう形で捨てられているのも珍しいから」
「普通は廃棄場に持ち込まれて跡形もなく解体されちゃうからね。何かに使えるかもって、チハヤが言い出したんだよ」
 エレナは機械の前で少し腰を屈めると、慈しむように頭をゆっくり撫でてやった。
「かわいそうって思ったのかな?」
「何言ってるの。エレナが今言ったじゃない。利用するだけ、それ以上も以下もないわ」
「待って、もしそれがマザーと繋がっていたら……」
「大丈夫。それはないよ」
 エレナがにっと笑う。その笑顔は、先ほどまでの朗らかなものとは異なり、どこか冷酷さに似たものを帯びているようだった。
「見つけたときに色々調べたから。その時点でマザーどころかどことも通信してなかったよ。かなり旧型みたいで、そもそもマザーに認知すらされてなかった可能性もある。だから直そうにも今じゃ見当たらない部品もあるくらいで……」
 ここまで来るのにも一苦労だったんだよ、エレナはにこにこしながら自立する機械を指し示す。機械は静止している間も絶え間なく揺れていて、今にも脆く崩れ去ってしまいそうなほどだった。
「名前は、あるんですか」
 ミズキがエレナと並ぶように腰を屈め、じっと機械を見つめる。最初こそ目を見開いたものの、あからさまな嫌悪感を抱いたシホとは異なり、ミズキの瞳は興味津々と言わんばかりに機械を捉えていた。
「アリサ、っていうの。わたしが勝手につけたんだけどね」
「アリサ、ですか……」
 ミズキは再度機械を見つめ、そしてすっと右手を差し出す。
「私は、マカベミズキです。よろしく、アリサ」
 アリサはミズキのことをじっと見つめているようにも見えるが、手を差し伸べるどころか何も反応を示すことなく、相変わらずふらふらしている。
「アリサは、会話はできないのでしょうか」
「うーん、思考回路の機能自体は問題ないはずなんだけど……」
 二人の不思議そうな視線を受けてもなお、アリサは人形のように一切動じない。ぼんやりと虚ろな瞳を、ミズキは宝石でも眺めるかのようにずっと見入っていた。
「原因があるなら調べたいところなんだけど、私もチハヤも忙しくてなかなか……」
「――でしたら、一つ提案があります」
 ミズキは立ち上がると、実に堂々とした顔つきでエレナを、チハヤを見渡し、
「私たちはつい先日『反機械化戦線』に入ったばかり。何かどうこうできる身分でもないし、技術もない。そこで、お願いなのですが」
 そして、物言わぬアリサに、優しげな目線を向けた。
「その子――アリサの世話を、任せていただけないでしょうか」

◇◆◇◆◇◆

 チハヤが根城とする廃工場は相変わらず陰鬱とした空気と影に包まれており、廃屋の中も灯りをつけてもなお薄暗さを拭い切れない。それでも一つ変わったのは、今までと比べ人の声が頻繁に響き渡るようになったことだった。
「アリサ。これが何だか、分かりますか」
 古びた椅子にちょこんと座るアリサへと、ミズキは手のひらを差し伸べる。その上には赤錆まみれの小さなネジが一つ転がっている。ぼうっと虚空を眺めていたアリサの視線がネジへと移ったのを見計らい、ミズキは手のひらを左右に傾ける。ころころと右往左往するネジを追いかけようとアリサの目も右に左に動き回るが、それだけで特に反応を示さない。
「アリサ。これは、ネジです。ネ、ジ」
 まるで赤ん坊に言葉を教えるように、ミズキはゆっくり大きく、何度も口を動かす。それにつられてアリサの口も真似をするように開くが、やはり声のような音すら出てこない。
「むむ、認識はしているみたいだけど……」
「会話機能が故障しているのかな。それとも、初めから備わっていないとか」
 ツムギが横から覗き込むと、アリサの目線は今度はツムギの顔へと移った。ツムギは思わず唾を飲み込むが、とりあえず口を半開きに弱々しく笑ってみせる。
「でも、エレナさんは『少なくとも標準的な機能は一通り備わってるみたい』って言ってた。だから、回路の問題なんだと思うけれど、『簡易的に調べた限りだと異常は特に見られない』とも言ってた」
「だから、エレナさんもお手上げ状態だと……」
 ミズキは溜め息交じりに息を細く吹く。「アリサの世話」を請け負ったはいいものの、機械の知識があるわけでもなく、それどころか自身よりずっと知識の豊富なエレナでさえ「よく分からない」と言っている現状、機械相手に子育てのおままごとのようなことをする程度が関の山だった。物を見せて名前を告げて、なんてことを繰り返しても進展はなく、さらには物資の乏しい反政府組織のアジトでは見せる物のネタすら早々に尽きてしまうのが現実だった。ネジとペンチとドライバーのループではどうしようもないことは、ミズキもツムギも既に理解していた。
「何かいい方法はないのかな……」
 顎に手を当て黙りこくってしまうミズキを前に、アリサは少しだけ首を傾けて彼女の顔をずっと見据えていた。
 ミズキが何気に唸り声を上げたところで、入口の方から物音が飛んできた。二人が即座に視線を向けると、その先には少し肌の汚れた、ラフな恰好のチハヤが息をこぼしながら歩いてきていた。
「おかえりなさい、チハヤ」
「……」
 ミズキの笑みを見るなり、チハヤはきょとんと目を丸くする。
「どうかしましたか?」
「……いえ、ごめんなさい。おかえりなさいって、言われるのにあまり慣れてなくて」
 こほん、と軽く咳払いをすると、チハヤも口元を緩め返す。
「ただいま」
 チハヤはまっすぐテーブルの方まで向かうと、皺寄った黒のウエストバッグを床に放り投げ、腰も投げつけるように椅子に深く座り込んだ。溜め息をつきながら頬杖をついたところで、反対側のアリサと目が合う。
「調子はどう?」
「なかなか、難しいですね。アンドロイドどころか、子供の世話もしたことがないので」
 ミズキが眉を大きく曲げると、つられてツムギも眉をハの字に曲げる。二人は顔を見合わせ、一段と重い溜め息をこぼす。その原因のアリサは、そんなことなどつゆとも知らずに二人のことを一瞥している。
「細かなとこはともかく、故障自体はないはずだってエレナから聞いたわ。それでもうんともすんとも反応しない。なんだか不思議な状態ね」
「そうですね。身体は動かせても、まるで『ココロ』がうまく動かせていないみたいです」