
「ココロ……?」
チハヤの疑問符に、ミズキは何も戸惑うことなくはいと相槌を打つ。
「アンドロイドに、ココロがある、と?」
「実際は分かりません。ただ、そうだとしても何も不思議ではない、私はそう思います。私たちの言動に反応し、私たちと会話ができる。それがあらかじめプログラムされたものだとしても、私にはただの機械だと割り切れないのです」
ミズキの視線が、アリサの方に落ちる。そして彼女は、ばつが悪そうに微笑みでごまかした。
「レジスタンスの考えとしては、不適切かもしれませんが」
ミズキの言う通り、それはレジスタンスとして不適切だった。機械に反することを誓った者として、それを率いるチハヤとは相反するものだった。機械はココロを持たない。それは鉄則じみた常識であり、この世界の理であり、だからこそマザーは機械による徹底した統制を敷き、チハヤは機械による支配を拒もうとしている。機械がココロを持つなど、あってはならないことだった。
当然、チハヤは反論しようとした。反論すべきであった。しかし、言葉は出てこなかった。言葉が出て来るより先に、チハヤの脳は理解してしまった。人間が持ち機械が持たないそのココロとやらが、自身の中で明瞭な輪郭を帯びていないことを。アリサが満足に反応できないのはココロに問題があるから、その理論がチハヤ自身のココロの腑に落ちてしまっていたから。
「……そうね」
チハヤは逃げるように天を仰ぐと、灰と炭のマーブル模様が染みついた天井に向かって投げやりに息を吐きつけた。
「『反機械化戦線』のリーダーを前にそんなことが言えるだなんて。やっぱりあなたは、凄い人ね」
チハヤが眉を曲げると、ミズキは徐々に顔を紅潮させて、慌てて首を左右に振った。
「そ、そうです、よね。チハヤに対して何を言っているんだろう……」
「いいのよ。確かに私にはまだ理解できないかもしれないけれど、否定するつもりはないわ。あなたたちがアリサに接しているのを見てると、そんな気分になってくる」
チハヤの目線が移るのに合わせて、ミズキも傍らのアリサに目を落とす。彼女の目に反応したアリサは若干ふらつき、椅子からこぼれそうになったところをツムギが慌てて全身で支える。ツムギの肩を掴んでじっと見上げるアリサに、ツムギはぎこちなく笑ってみせる。
「アリサに接してるあなたたちは、何か特別なものを持っているように見える」
「特別な、もの……?」
「ええ。少なくとも、シホみたいにアンドロイドに対する嫌悪感は見られないわ」
チハヤは一つ深呼吸をすると、ミズキたちに凛々しく真剣な目を向ける。
「工業区でのこと。シホがああ言っていたけれど、あなた……」
「『親を知らないあなたに』、ですよね」
チハヤが問いかけを言い切る前に、ミズキの顔は小さく下に動く。
「そうですね。彼女の言葉の通り、私は自分の親の顔を知りません。記憶がある頃にはもう捨てられていました。しばらく孤児院で暮らしていたのですが、そこでも馴染めなくて……それからは、チハヤの知っている通りです」
ミズキがツムギの方に手を差し伸べると、ツムギはアリサをあやすように抱きながら深く頷いた。
「だから、私はシホみたいにアンドロイドを恨んでいるわけではありません。自分から積極的に接触しようとすることもあるので、シホからしたらやきもきするのかもしれませんが」
ミズキがアリサの方を見やる。アリサが左腕を伸ばそうとしたところに、ミズキは小さく手を振ってやった。
「捨てられていたと聞いて、この子に幼い頃の自分を重ねていたのかもしれませんね。だから、放っておけないのかも」
チハヤに向けて気まずそうに笑みをこぼした彼女の顔は、やはり底抜けの優しさを携えていて、やはりレジスタンスには不釣り合いな表情だった。
◇◆◇◆◇◆
ミズキとツムギがアリサの「リハビリ」に励む一方、シホはチハヤやエレナのレジスタンス活動に同行することが多かった。まるで自ら修羅の道を突き進むように。まるでアリサから逃げるように。
「シホは二人と一緒にいなくていいの?」
青白い電子の光が淡く照らす道路を、運転手のいない自動車が颯爽と通り過ぎていく。その横の光の届きづらい裏路地で、エレナとシホは光から逃れるように影を潜めていた。
「別に……そもそも、仲良しごっこがしたくて『反機械化戦線』に入ったわけじゃないですから」
「それとも、そんなにアリサのことが嫌い?」
「そ、そんなのじゃないです!」
きっと睨みつけてくるシホの視線に構うことなく、エレナは手元の端末を見つめながら、針で縫うように鮮やかに人差し指を絶え間なく動かしている。
「何、してるんですか」
「ログを辿ってるの」
ログ、という相槌と同時に、エレナの顔がようやくシホに向く。
「先週――まだシホたちが来る前の話だけれど、潜伏してた『反機械化戦線』のメンバーが立て続けに拘束された。ちょうどこの近辺と、あとは工業区の辺り。その前の週までそんな予兆はまったくなかったのに、サイバーポリスの動きはやけに的確だった。もちろん、メンバーの潜伏拠点は外部に公言厳禁」
似合わないほどにいつになく真面目なエレナの表情を前に、シホはぐっと息を飲み込む。
「もしかして、内部の誰かが漏らした、ってことですか」
「シホは鋭いね」
吸い込まれるように、エレナの視線が再び端末へと戻る。彼女の口角が不敵に歪んだのを、シホは見逃さなかった。
「だから今ハッキングを仕掛けて、ここ数週間の通信ログを追ってるの。サイバーポリスのも含めてね」
「そ、そんなことして、サイバーポリスに感づかれないんですか」
「大丈夫。この程度できなきゃ、チハヤの横でエンジニアなんて名乗れないよ」
シホは表の光の方に目を向ける。花束を抱える女性、アンドロイドに押される車椅子の老人、にこやかに手を繋ぐ母親と少年。時折垣間見える通行人の表情は皆日常を謳歌しているようで、すぐ傍でレジスタンスが犯罪行為を行っているなどとはつゆとも思っていないだろう。
「シホはどうしてアリサのことが嫌いなの?」
ふと飛んできた質問に、シホは再び目を大きく見開く。
「だから、そういうのじゃないですって! 嫌いとか以前に、アンドロイドに反抗する組織がアンドロイドを持っているだなんて、あり得ません」
「そんなおかしな話でもないんじゃない? 木を隠すなら森の中、アンドロイドの根城の一番奥に入り込めるのも、アンドロイドかもしれないよ」
念押しするように溜め息を一つこぼすと、シホは右手を額に当てて建物に挟まれた小さな空を仰いだ。
「あんなボロボロのアンドロイドで、いったい何ができるって言うんですか。機能的には問題ないはずなんですよね? それであのザマだから……」
「だから今、ミズキとツムギに面倒見てもらってるんだよ」
「アンドロイドとおままごとするのが目的の組織じゃないですよね」
エレナの人差し指が止まる。眉を顰め、ダメかと小さく呟くと、エレナは端末をウェストバックに放り投げるように仕舞った。
「レジスタンスなんですよね? こんなに甘いんじゃ、ダメなんじゃないですか」
「そうだね。そろそろ武器の練習とか、やってもらわないといけないかも」
別のとこいこっか、とエレナが人差し指で示すと、シホも黙って頷き踵を返す。淡い青に包まれた表は車も走っておらず、穏やかで静かな空気が流れていた。その空気の中に踏み込む二人すらも歓迎していると思えるほどに、穏やかな日常だった。
「そのときはシホも一緒だよ?」
「私はいいです。ある程度は把握してるので」
不思議そうなエレナの視線をあしらうように、シホは彼女を一瞥し、何事もなかったように先に歩みを進める。
「親も、こっち側の人間だったんです」